公開日: 2023年12月17日 更新日: 2023年12月17日
癖の話
他人とか社会とか、そういったものが抱える問題を、自分の問題かのように解釈する癖が、私にはある
昔は、そういった癖をよく「優しい人だ」と言ってもらえた。
いや、今でもそう言ってもらえることがある。
ただ、おとなになって、その癖の先には苦しみが待っていることを知った。
人間誰しも、苦しみを抱えて生きている。
でも、楽しむときは楽しんだり、家では仕事とプライベートを分離して、なんというか心のパーソナルスペースを作っている。
私といえば、どんなときにも敏感に事象を自己で置き換えたり、解決しようとしてしまう。
心のパーソナルスペースがない状態だ。ずっと何かのために思考している。
その結果といえば、とりあえず現状自分が幸せにはなっていない。
むしろ他人の幸せのために自分を不幸にしている。
そしてその自分の不幸を、勝手にやっただけなのに他人に理由を求めようとして、それでも自分がやったことだとわかっているから、一人で不満を抱えるのである。
そんなことでは誰も幸せにならない。
幸せそうな、元気そうな、そういう人に対して、人が集まってくることを知っている。
死臭ただよう自分のような人に、人は集まらないことを知っている。
客観的に見てもそう、自分に対して自分が嫌悪感を抱いている現状である。
最近の思考では、とりあえず自分の幸せを優先するように心がけている。
他人のことを考えられるのは、自分に余裕がある時だけなのだ。現状では他人を考える余裕などない。
すべての順序が逆で、すべての思考が逆で、自分の中でのダブルスタンダードあり、そういった思考の中で、一先ず一旦正しい方向に修正する必要がある。
この道をこのまま歩いたとしても、待っているのは不幸だとわかっている。
わかっているのなら、違う道を進むしかないのである。